1988(昭和63)年5月3日の豪雨災害
1.気象概況
昭和63年5月3日午後から長崎県島原市付近から熊本市・上益城郡矢部町にかけて、温暖前線の影響で雷を伴った集中豪雨に見舞われた。3日12時ごろから島原から矢部にかけてほとんど同時に雨が降り出した。島原では13時に40mm、熊本で16mm、間の谷山(矢部町)で6mmを記録、そして島原では16時に117mm、17時に115mmを記録し、記録的短時間大雨情報が2時間続けて発表された。熊本では18時、19時と50mm以上の猛烈な雨を記録し、間の谷山では19時に90mm、20時に111mmを記録し、こちらも2時間連続で記録的短時間大雨情報が発表された。その他、岱明で18時に70mm、高森で4日0時に80mmを記録し、それぞれ記録的短時間大雨情報が発表された。3日午後から降り出した豪雨は24時までの12時間程度で島原445mm、熊本351mm、間の谷山422mmを記録した。図-1に日降水量分布図1)を示す。
図-1 日降水量分布図(昭和63年5月3日00時~24時、単位mm)1)
2.豪雨による被害
昭和63年5月3日、昼頃から4日未明にかけての集中豪雨で、緑川支川・御船川は、計画高水位を上回る異常出水に見舞われました。御船川流域の島木雨量観測所において、時間雨量94mm、総雨量475mmを記録する降雨量となりました。このため5月3日20時過ぎには御船観測所では計画高水位の4.66mを突破、御船町では氾濫が始まり、21時には最高水位6.49mを記録、22時には堤防が約30mにわたり越水破堤しました。
死者:2名、家屋全半壊:32 戸、床上浸水:638戸、床下浸水:521戸2)
土砂災害はがけ崩れ53箇所の報告のうち38箇所が矢部土木事務所管内3)と間の谷山周辺で多発した。土石流は降雨の激しかった間の谷山の周辺で多発した。
図-2 雨量グラフ(緑川・島木観測所)2) 図-3 御船水位(緑川・御船観測所)2)
3.被害事例
御船川では約30mにわたり堤防が決壊し、この氾濫で、二連式の石橋のアーチ橋・御船川目鑑橋(県重要文化財)が流失しました(写真-1)4)。熊本から宮崎への主要道路(日向往還、現在の国道445号線)で、熊本の石橋の中でも最も美しい石橋の1つとして、長い間人々に親しまれた石橋でした。写真-2は流失前の御船川目鑑橋5)です。
写真-1 昭和63年5月洪水時の状況(出典:九州地方整備局、緑川水系河川整備計画平成25年1月)4)
写真-2在りし日の御船川目鑑橋、流失2日前の貴重な写真
(常石先生提供)(出典:熊本国府高校パソコン同好会)5)
写真-3昭和63年5月3日集中豪雨による被害状況・泥まみれの町並
(出典:令和4年度御船町地域防災計画第1章第8節)6)
写真-4昭和63年5月3日集中豪雨による被害状況・被災した家財道具
(出典:令和4年度御船町地域防災計画第1章第8節)6)
嘉島町では負傷者1名、床上浸水240戸、床下浸水350戸の浸水面積12km2の被害が発生しました。これは昭和28年6月26日の梅雨前線による浸水被害(写真-3,4)6)や昭和57年7月24日の梅雨前線による浸水被害に次ぐものでした。
山都町(旧矢部町・清和村)では間の谷山で2時間連続の記録的短時間大雨情報が発表される豪雨で土石流やがけ崩れが多発した。矢部町周辺の地質図7)に地盤災害箇所(斜面崩壊・土石流)3)を書き込んだものを図-4に示す。斜面崩壊はほとんど火砕流堆積物の地盤で発生している。土石流は間の谷山(変成岩・片岩)の渓流で発生している。
写真-5 裏山の崩壊杉林・矢部町横野3)
写真-6 裏山の崩壊竹林・矢部町峯3)
写真-7 斜面崩壊竹林・矢部町桐原3)
写真-8 裏山の崩壊竹林・矢部町布施3)
図-4 矢部町周辺の地質と土砂災害箇所(地質図Navi7)、シームレス地質図に加筆)
参考文献
1)福岡管区気象台、昭和63年5月3日から4日にかけての熊本県・長崎県を中心とする大雨、災害時気象速報、s.63.5.11
2)熊本河川国道事務所、昭和63年5月3日、緑川の過去の水害
3)熊本県矢部土木事務所管内、5.3豪雨、土砂災害(ガケ崩れ)資料、災害報告(土石流、土砂流出)
4)九州地方整備局、緑川水系河川整備計画-国管理区間-、平成25年1月
5)熊本国府高等学校パソコン同好会、御船川目鑑橋の復元を!
6)御船町、令和4年度御船町地域防災計画第1章総説第8節御船町の災害要因と被害状況
7)産総研・地質調査総合センター、シームレス地質図、地質図Navi