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1975(昭和50)年4月大分県中部地震災害

1. まえがき

昭和50年4月21日、大分県中部で直下型地震が発生し、大分県九重町、湯布院町、庄内町、直入町で被害が発生した。特に湯布院町の九重レークサイドホテルと九州横断道路(やまなみハイウェイ)の被害が際立った。九重レークサイドホテルの被害調査は「1975年4月大分県中部に発生した地震災害調査報告」1) が詳しい。九州横断道路については、当時の熊本大学工学部土木工学科土質研究室で現地調査を行い、被害状況を記録・写真撮影を行った。

2. 地震の発生状況1)

昭和50年4月21日午前2時35分、大分県中部にマグニチュード6.4の地震が発生。震源地は大分市の西南西30kmの所で、震源の深さは20km程度。震央は北緯33.2°、東経131.4°、震度は大分市で4、震源に近い所で5~6程度と推定されている。被害地域は西北西から東南東へおよそ25km、幅10kmと考えられ、九重町寺床、湯布院町山下池、湯の平、庄内町内山、阿蘇野の各部落が含まれているが、震央と被害地域は一致していない。

3. 被害の状況1)

図-1に被害地域を示すが、被害の範囲は大分郡野津原町、挟間町、庄内町、湯布院町、直入郡直入町、玖珠郡九重町に及ぶ。地形はほとんどが山地で渓流に沿った細い道路や僅かな平坦地に作られた田畑や村落であり、被害を受けやすい条件下にある。道路の落石による破壊などが容易に発生し、部落が孤立した。表-1に示すように全体としての被害はさほど大きくはなく、負傷者は出たが、幸い死者はなかった。

表-1 大分中部地震による被害状況


図-1 大分中部地震による被害区域

図-2に示すように、湯布院町の山下池の地域では、九重レークサイドホテルと小田の池料金所は重大な被害を受け、その近くの九州横断道路が崩壊し、通行不能となった。


図-2 湯布院町山下池周辺の被害

 

4. 九重レークサイドホテルの被害1)

鉄筋コンクリート構造の建物の被害としては九州横断道路の小田の池料金所(写真-1)と九重レークサイドホテル(写真-2)の2か所である。


写真-1 九州横断道路小田の池料金所の倒壊1)


写真-2 九重レークサイドホテルの被害状況1)

この付近には女子寮をはじめとして数軒の建物があり、対岸には2階建ての湖畔荘があったが、ほとんど被害を受けておらず、このホテルと料金所だけが大きな被害を受けた。このことから確かに地震動が大きかったこともあるが、建物自体の欠陥により破壊したものと思われる。鉄筋構造物の九重レークサイドホテルは昭和40年10月に完成している。鉄筋コンクリート造で地上4階、地下1階で、1階はロビー、食堂、大広間で2階以上が主に客室となっていた。柱は4階から2階は50cm角、1階と地下階は55cm角であった。2階以上の荷重を受ける24本の柱が跡かたもなく崩れ去り、1階分だけ高さが下がり、15度ほど傾斜した。1階の柱は曲げ破壊やせん断破壊を起こす間もなく、2階以上の階の落下により、強制的に変形を受け鉄筋が外側に大きくはみ出した。この原因としては1階に2階以上の荷重を受ける部分に壁が少なかったことが挙げられ、このため、柱だけでほとんどの荷重を受けることになり、構造体に余力がなく、1階の耐力が設計荷重ギリギリしかなかったものと推定される。

直下型地震は上下動が大きいと言われ、直下型のように震央が近くなると水平動と同じか大きくなる場合もあると言われる。構造物の設計において上下動は考えられておらず、水平動だけで地震の設計を行っている。上下動が大きい直下型の地震については上下動を考えた設計が必要ではないだろうか。

今回の災害は局所的なもので被害総額は比較的少なかったものの、耐震工学の面では極めて重要な教訓を与えているものと言える。

このホテルは当時の建築基準を満たした鉄筋コンクリート構造の建物であったため、1981年の建築基準法改正では、この事例をひとつのきっかけとして、俗に「新耐震」と言われる耐震基準が策定され、剛性率の規定が盛り込まれた。

5. 九州横断道路(やまなみハイウェイ)の被害

大分県道・熊本県道11号別府一の宮線の一部、大分県由布市水分峠と阿蘇市一の宮地区を結ぶ区間は、1964(昭和39)年6月に日本道路公団の管理する有料道路別府阿蘇道路として供用開始され、1994(平成6)年6月、料金徴収期間満了に伴い無料開放された。この区間は特にやまなみハイウェイの愛称で呼ばれる。また、同時期に整備された国道57号阿蘇市一の宮地区以西の区間とあ わせて九州横断道路の一部となっている。この道路の湯布院町山下池の北側の部分で小田の池料金所が崩壊し、通行不能になった。小田の池料金所から阿蘇へ抜ける約1kmの間で被害が起こっている。道路横断方向の舗装面に約10m間隔で亀裂が入ったり、舗装面が盛り上がっている(写真-3,4)。山側の斜面では土砂が崩壊し、道路を塞いでいる(写真-5,6)。また、その近くの道路盛土がセンターラインから擁壁ごと約120mに渡って崩れ落ちている(写真-7~12)。


写真-3 道路の横断方向に亀裂と盛上り


写真-4 道路の横断方向に亀裂


写真-5 山側の斜面が崩壊して道路を塞いでいる


写真-6 山側の斜面が崩壊したが落石防護ネットで崩落土砂の拡散を防いでいる


写真-7 九州横断道路の盛土部分が約120m崩落


写真-8 アスファルト舗装厚は15cm


写真-9 1車線分が崩落、舗装部分は2車線分崩落


写真-10 道路の崩落箇所から山下池の湖畔に被災した九重レークサイドホテルが見える


写真-11 九州横断道路が盛土部分で崩落


写真-12 崩落した舗装部分とその下に崩壊したブロック擁壁

参考文献

1)広部良輔・箕輪親宏(国立防災科学技術センター企画課資料調査室):1975年4月大分県中部に発生した地震災害現地調査報告、科学技術庁、昭和50年7月