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昭和28年6月白川大水害を引き起こした阿蘇地方の山腹崩壊

はじめに

昭和28年6月の集中豪雨による白川水害は、熊本市街地で白川が氾濫し、多くの犠牲者をだした。その際、氾濫域には多くの土砂が堆積し、災害復旧にも多くの費用と日数が費やされた。この多くの堆積土砂の発生は白川の源である阿蘇地方での豪雨による山腹崩壊が原因とされる。そこで阿蘇地方の山腹崩壊の様子を纏めてみる。資料としては災害発生前の昭和27年3月の熊本県土木部の「阿蘇火山ヨナ地帯の特異性」の報告書1)と昭和28年8月の建設省河川局砂防課の「阿蘇山系崩壊調査書」の報告書2)がある。これらを参考資料として以下に昭和28年6月26日の豪雨による山地崩壊について述べる。

 
1.阿蘇山系の概観2)

1) 地形
火口原を南北に二分し、北は阿蘇谷、南は南郷谷と呼ばれ、標高約500mの田園集落を展開している。五岳をとりまく山腹は、いずれも甚だしい急傾斜を呈し、各渓流は何れも平均1/5程度の勾配を以って流下し、標高700m付近より扇状堆積地となり、ここを流下して元の湖底原たる肥沃な田地に流れ出た渓流は、阿蘇谷おいて平均1/50、南郷谷において1/20の勾配でそれぞれ黒川、白川に注いでいる。

 
2.昭和28年以前の状況

まず昭和28年の災害以前の阿蘇山周辺の状況を纏めて見る。昭和27年3月に報告された熊本県土木部の「阿蘇火山ヨナ地帯の特異性」の報告書1)によると、昭和28年の災害以前の阿蘇山周辺の状況は以下のようである。

1) 阿蘇山麓の土地利用
昭和27年当時で耕地面積は合計9590haである。森林は標高600m~800m間に分布し、樹種は杉、檜、松が主体で一部その他の雑木を混交する。1000m付近が経済的意味での植林の限界線と考えられる。原野は阿蘇山麓と外輪山の大部分は草原で広大な牧野となっており、標高は約600m~1200mである。潅木地帯は阿蘇山の標高900m以上の岩盤の露出部や急傾斜で堆積よな層の比較的薄い山腹で、樹種は「ヤシャブシ」「ツツジ」等で1m~1.5m程度の高さの疎林を成しており山腹の崩壊防止、雨水の滞留、「よな」流下の防止等に多少の効果は認められる。火山灰原は噴火口を中心として半径2km以内で標高は1000m以上の地帯である。植物は生育不能で、山腹傾斜の急な箇所でも厚さ30cm程度の「よな」が堆積していて、豪雨の際は一時に「よな」を流出する。

2) 降灰による被害
昭和25年夏の「よな」の堆積分布調査結果は阿蘇谷流域で610万m3、最大堆積深は0.5mである。昭和25年5月21日の爆発による「よな」の被害は、畑890ha、森林770ha、牧草地3800ha、火山地帯865haで合計6325haである。

3) 昭和25年の山腹崩壊
7月の「グレイス」9月の「キジヤ」台風による山腹崩壊は崩壊面積27ha、崩壊土量25.4万m3で平均崩壊厚さは約90cmである。

4)「よな」の限界掃流力と河床の縦断勾配
阿蘇地方の渓流では河底の縦断勾配は1/25~1/200程度であるから、ごくわずかの流れが起これば直ちに堆砂の移動が行われることがわかる。河床に堆積している「よな」の縦断勾配は実測の結果、1/50~1/200の勾配である。

5) 以上のことから昭和25年の阿蘇中岳の噴火による「よな」の堆積と台風による山地崩壊で、昭和28年当時の阿蘇中央火口を中心として火山地帯・牧草地・森林は相当荒れた状態にあったことが想像される。また、渓流の掃流力も小さいことから、豪雨によって多量の堆積した「よな」が容易に下流域へ運ばれることが予想される。

 
3.阿蘇山系の崩壊状況2)

1) 昭和28年6月26日の降雨量
昭和25年の阿蘇中岳の噴火に加え、昭和28年4月27日にも観光客死者6名、負傷者90余名、5月にも農作物に被害が出る噴火があり、降灰量は516万トンにも及んでいる。この白川大水害の原因となった異常降水量についてみると、28年は例年の入梅より10日も早く6月早々より梅雨型の長雨となり、約2週間降り続いて、ほとんど飽和状態となった所へ、6月26日朝以来の連続した降雨により、午後になって随所で崩壊が発生したものと考えられる。表-1は阿蘇地方と熊本市の6月25日~28日の降雨量を示す。阿蘇地方の宮地では時間最大雨量は35.5mmであるが平均20mm以上の降雨が13時間も連続しており、日雨量も479mmに達し、13時間に及ぶ20mm以上の降雨はまさに異常降雨といえる。

表-1 昭和28年6月の白川大水害時の降雨量(6月25日~28日)

2) 山腹崩壊
噴火口を中心として、半径約2km内外、標高1,000m以上の地帯は火山灰原で、植物は生育不能であり山腹傾斜の急な箇所でも、厚さ30cm程度の「よな」が堆積している。昭和28年の豪雨時に、この堆積物の「よな」の大部分が流出し、災害激甚の一大誘因をなしている。1,200m以下800m付近までは安山岩の上部に第三紀頁岩あるいは礫・粘土の洪積層を形成しており、「よな」はこの層を2m前後の深さをもって覆い、雨水の浸透水が、この粘土層により遮られ、この面において滑落したものである。山腹崩壊を地質的に見ると、古い外輪山系には、ほとんど崩壊は見られず、若い中央火口丘山腹に限られている。特に南北斜面にひどく西方山腹はほとんど崩壊の拡大は見られなかった。

崩壊の中心は中央火口丘の根子岳、高岳、中岳、烏帽子岳及び御竈門山にほとんど限られ、西側山腹の往生岳、杵島岳、夜峯山に連なる一帯及び外輪山は不思議な位、美しい緑に包まれたままである。このように崩壊は中央火口丘群に源を発する各渓流沿いに発生している。

3) 山腹崩壊の特徴
山腹崩壊の原因としては長雨による飽和状態に続く異常豪雨で、ほとんど縦侵蝕により両岸山腹の表土剥落となっている。南郷谷方面は既設堰堤が少なく、下刻作用が猛烈を極めている。阿蘇谷方面は、河川改修が進んでおり中流部に既設堰堤が多く、各渓流ともその水源部に縦侵蝕が見られる程度で、堰堤の砂防効果が認められた。

山腹崩壊の特徴は、表土剥離が主であるので、深度は比較的浅く平均0.5m程度である。ただし、雨裂条痕が出来ており、発展拡大の恐れが多い。傾斜角としてはほとんど40°~50°が主である。

南郷谷の渓流と阿蘇谷の渓流では崩壊土砂量が大きく異なり、南郷谷の方が2倍の崩壊土砂量である。これは流路平均勾配が山地部で南郷谷平均1/7.7、阿蘇谷平均1/10.2、全流路平均でも南郷谷1/11.1、阿蘇谷1/21.7と南郷谷の勾配が急なため、南郷谷側の砂防堰堤の効果は見られるものの、その堰堤の破壊も見られ、渓岸の崩壊や流出土砂量が甚大になっている。阿蘇谷側は既設堰堤が多くその効果が見られ、堰堤はほぼ満砂の状態である。しかしながら、山頂付近の堆積「よな」の流出が多く、阿蘇谷では崩壊土砂量の85~90%以上を占めている。

これらの莫大な量の崩壊土砂が各渓流から黒川・白川へ、さらに合流して白川本流に流出し、熊本市街地での大水害を引き起こしたものと考えられる。


図-1 阿蘇山系崩壊図3)

参考文献

1)熊本県土木部:阿蘇火山ヨナ地帯の特異性、昭和27年3月
2)建設省河川局砂防課:阿蘇山系崩壊調査書、昭和28年8月
3)谷勲:山地の荒廃と土砂の生産・流出(3)、砂防学会、新砂防27,No.4,p.43,1975